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合格するためのマインドセット
- 目 次 -
☆まえがき ☆「足ぶみ勉強」からの卒業 ☆バカだから勉強できない!? ☆負けたあとが肝心 ☆勉強できる子、できない子 ☆基礎学力をしっかりつけろ! ☆ライバルを持て! ☆人間は忘れる動物である ☆ポジティブになろう ☆本当に勉強なんて必要ないのか!? ☆素直な心を持とう ☆キミは知らぬ間に『思考停止』に陥っていないか? ☆『知的好奇心』は人生の宝 ☆子供の可能性は無限大 ☆右脳を活用しよう!! ☆『バランス』の話 ☆よく学び、よく遊べ ☆あいさつをしよう! ☆「私はほめられて伸びるタイプなの」? ☆ポジティブとネガティブ ☆運も実力のうち ☆笑う門には福きたる ☆あとがき
| ☆まえがき☆
この「合格するためのマインドセット」は、2000年10月に書いた「合格する究極の勉強 法」をもとに、さらに大幅な改訂を加えて編集しました。(2003年6月製本。2007年9月に、 ホームページ用に編集)
中学生・高校生になると、「毎日がつまらない」「退屈だ」「何かおもしろいことないかなあ」 などと、じっと『楽しい』ことが起こってくれるのを待っている人が増えてきます。そんな 人は楽しいことを遊びや恋愛に見出そうとしますが、街で遊んでも楽しいのはその時ばか り、後には空しささえ漂います。恋愛も『ごっこ』であれば同様です。
「人生がつまらないのは、自分がつまらない人間だからだ」と言われるように、何の 努力もせずに、誰かが楽しいことを運んできてくれるのを待っているような人には、確かに 「毎日が退屈でつまらない日々の繰り返し」であるのかもしれません。
同じ中・高生でも、勉強やスポーツなどに打ち込んでいる人というのは「つまらない」など とは言いません。勉強・練習によって日々自分が向上・上達しているのを感じている 人、スランプに陥ったらそれを打破しようと前向きに努力を続ける人というのは、毎日が 常に新鮮で意味のある時間の連続ですから、「毎日が楽しい」と感じます。
しかしそんな人でさえ、ほんのちょっとした『マインドセット』の違いで、勉強・練習の効果 が半減したり倍増したりしてしまうことに気が付いていない人が多いものです。 「いいものは持ってるんだけどなあ」などと言われるような、自分の才能や能力を生かし きれていない人は、ちょっとした心得違いをしていたり、我流に陥ってしまっていたりする ものです。 もっとも、これらは何も中・高生に限ったことではなく、子供にも大人にも広く言えることな のかもしれません。
さて、「勉強でつらい思いをする子供の数を減らそう」という名目の下、文部(科学)省は 義務教育の履修内容を削減し続けています。(最近[2007年9月現在]やっと履修内容を増 やそうという動きも見られるようですが、『削減』の波は今後も止まらないとする専門家も多 いようです) しかし、どんなに履修内容を削ろうと、子供たちの『気持ち』が変わらなければ結局は 同じことです。 問題は履修内容が難しすぎることよりも、むしろ子供たちの『やる気』の低下だからです。 そのことを証明するように、この10数年で、いわゆる『落ちこぼれ』の数は減るどころか 増加の傾向をたどっていると言います。そして子供たちの平均学力は年々下がり続け ているのです。
学歴神話が崩壊した(?)現在では、親の意識もずいぶん変わりました。「勉強ができなく ても、学力が下がっても、そんなことは問題ではない」と考える人が増えてきているの です。
しかし果たして本当に「勉強などできなくてもよい」のでしょうか。
ちなみに『学歴神話の崩壊』に関して言えば、確かに『大卒』の価値は昭和40年代から 50年代の頃に比べれば下がったのではないかと思います。「あいつは大卒だから、高卒 の私よりも出世が早いのだ」などという時代ではなくなった、つまり全体に占める大卒の割 合がどんどん高くなっているのですから、その価値は相対的に下がるのは必然です。野菜 が豊作になると値崩れを起こすのと一緒です。
ですが、今でもやはり『学歴』は有効なアピール材料であることは間違いないようです。 (つまり『学歴神話』は崩壊したように見えて、実は崩壊していないのではないでしょうか。) ただ、学歴をつけさえすれば良いという時代から、プラスαが求められる時代になっ たということなのかもしれません。社内の誰もが有名大学卒という状況では、もはや学歴 だけでは出世もかなわないということです。(もちろんこれは『学歴』がないと入ることが非 常に難しい企業での話です。裏を返せば『学歴』がないと企業側からの『選択肢』にす ら入らないというのが現実として多々あるということです。)
一方で一流大学卒の人が犯罪を犯したりすると、すぐにマスコミが騒ぎ立てます。そして 「学校では勉強よりも道徳の方が大事だから、道徳をもっとしっかり教えるべきだ」「勉強 ばかりしているとああなる」「社会の歪みが……」などという無責任なコメントが電波にの って垂れ流されます。学歴のない人が犯罪を犯しても、逆の発想つまり「勉強をしっかりし ないから犯罪を犯すようになるのだ」とか「学歴がないとああなる」などとは不思議なもので なりません。人は『無意識の期待』に背くと途端に過剰反応を起こすのです。つまり『学歴 のある人は犯罪など犯さないだろう』という期待に反すると、そのギャップが許せなくなるの です。優しそうな顔をした人がちょっとでもイヤなことをすると途端に許せなくなるのに、悪 人面の人が - 本当に普段悪さをしていたとしても - 雨の日、ずぶぬれの野良猫を抱 きかかえた瞬間、「本当はいい人だったんだ~」となるのと同じ心理です。
そして履修内容は大幅に削減され、教科書は年々薄くなり、「勉強よりも大事なものが ある」などと言って、気がつけば国際学力テストで大きく順位を下げ、このままでは国際競 争力も国力も維持できないのではという懸念が生じつつあるのが現状なのです。
このような時代だからこそ、「本当に勉強なんて必要ないのか」ということを真剣に考えて みる必要があるのではないかと思うのです。
ところで、計算機が小型化され家庭に普及し始めた頃から、『そろばん』が軽視されだ したように思います。昔は「読み・書き・そろばん」と言っていたのに「読み・書き・計算」と言 うようになって久しいですが、「筆算式」の計算が『左脳』を使うのに対し、「そろばん式」 の計算は『右脳』を使います。右脳を開発することは『脳力』を飛躍的に向上させること につながります。特に6・7歳の頃からそろばんを習うと、子供の『脳力』は飛躍的に向上 し、本来の目的である『計算力』がつくだけではなく、学校の勉強においても目覚ましい効 力を発揮します。これは『集中力』『やる気』『チャレンジ精神』……といった副次的効 果によるものです。
ところが世間では、「計算機があるのにそろばんなんて意味がない」と、ばっさり切り捨て られることが多い。実生活では、「計算機を起動させている手間と時間の間に、頭の中で 計算が終わっている」便利さとか、「計算力向上以外の副次的効果」などには考えを及ぼ してもらえないことが多いのです。
何年か前に、『思考力と、その土台となる知識の無い、そういう人ばかりになれば、一国 の指導者には最もありかたい』という風刺漫画を見たことがあります。 「思考停止で従順な国民」というのは、簡単に指導者の意のままになるという点におい て、確かに最もありがたい存在なのかもしれません。江戸幕府が農民に『読み・書き・そろ ばん』を習得してほしくなかったのはそのためだと聞いたことがありますが、確かに一理あ ります。(もっとも江戸時代後半には、農民も寺子屋などで学問を習っていたといいます。) 下手に『知識』を与え、その知識をもとに『思考力』を持たれるよりも、何も考えず何の疑 問も抱かずに、せっせと米を作ってくれていた方がありかたいのです。江戸時代、役所の 書類を年に一度倉から出して陰干しする作業を農民にも手伝わせていたということです が、『読み・書き・そろばん』ができないばかりに、年貢を多めに搾取して不正利益を得て いる証拠の裏帳簿を目の前にしながら、そのことに気がつきもしなかったという『笑い話 (?)』もあるくらいです。「知らぬが仏」とは言え、何とも後味の悪い話ですが、これは何も遠 い昔の他人事ではなく、我々一人ひとりにも当てはまるところがあるのではないでしょう か。
知らず知らずのうちに『思考停止』に陥ってそのことに気がつきもしていない状況がな いと言い切れますか。考えるためには、前提として正しい知識・情報が不可欠です。そ の知識は『削減』されているのに、本当に正しく考え正しい結論を出すことができるので しょうか。実は『考えているつもり』、つまり『思考停止』に陥っているのではないでしょう か。
『思考停止』は『脳』が老化している証拠であると言いますが、『思考』の土台となる『知 識』を削減されることなど本来あってはならないことだと思います。
『知識』を『思考』へと発展させる力を向上させることが実は大事なことで、知識ばか りを詰め込んで無用に暗記するばかりでは、それこそ「意味がない」と言われても仕方が ありません。
さて、本編ではもっとつっこんで、『勉強』について私が思っていること、考えていること を、なるべく率直に述べさせて頂きました。もちろん私のような若輩者に世の中のことが全 て分かっているはずもありません。少なくとも『勉強』について、ひいては『人生』について、 より深く考えていくその“きっかけ”となってくれれば幸いに存じます。
◇「足ぶみ勉強」からの卒業
勉強ができる子とできない子には、それぞれに特徴がある。その一つをこれからお話し する。
例えばここにテキストと解答があり、それを使って自習してもらうとする。するとできる子と できない子とでは決定的に違う現象が起きる。
勉強が苦手だと思っている生徒は、例外なくこの「足ぶみ勉強」をしている。
具体的には、まず問題を解く。そして1ページか2ページ進んだところで答え合わせ。 合っているところに赤ペンで丸をつける。ここまでの流れは誰でも同じ。(この時点でさぼっ ている生徒は論外。ここでは勉強しているのに成績が上がらない生徒に主眼をおく。)
肝心なのは次のステップ。間違えたところに赤ペンで答えを書く。一通りそれらの 作業がすむと、次のページの問題を解き始める。これが「足ぶみ勉強」。
「足ぶみ」というのは、やってみると結構疲れる。疲れるが、前には一歩も進んでいな い。
同様に先の勉強では、疲れるばかりでそれに見合う学力はつかないのである。
考えてみてほしい。赤ペンで正しい答えを書いて、それで自動的に脳内に記憶されるの であれば、みんなそのやり方で東大に合格できる。
そして赤で答えを写した生徒の多くは、写し終わった時点で満足し安心してしまう。な んか勉強した「気」になってしまうのだ。実際には「足ぶみ」しかしていないのに、前に進 んだ気になってしまう。
これは「テスト直し」の時も同じ。「ちゃんと見直ししとけよ~」「はい」というやり取りの後、 この「足ぶみ勉強」をしてしまうと、せっかくのテスト見直しが何の役にも立たない。これで は、さぼって何もしなかった生徒たちと、実質同じことになってしまう。
このように「足ぶみ勉強」とは、せっかくの努力がまったく報われない、空しい勉強法 なのだ。 空回り勉強法と言ってもいい。自転車のペダルを一生懸命こいでいるのに、前に進 まないと思ったら、地に車輪が着いてなくて空回りしていたといった状態。 「うちの子は頑張っているみたいなんですけど、成績が思ったように伸びなくて……」とお 母さんに言われるような生徒のほとんどが、この「足ぶみ勉強」をしている。これでは机に 何時間向かっていたとしても意味がないのだ。
ではどうしたらいいのか。
まず間違えたところにチェック印をつけて、全体の答え合わせをしてしまう。この時 点では合っていたところに丸、違っていたところにチェックがついているだけのは ず。 次に違っていたところの解答を見る。答えを見た時点で「あ~、そうか!」と理解で きれば、次に進む。理解できなければ、今度は「解説」を読む。それで理解できれば 次に進む。何度読んでも分からない場合は、後で先生に質問すべき問題であるか ら、問題番号に星印(何でもいい)でもつけておいて次に進む。 そうして間違っていたところをすべて(星印のところ意外)理解できたと思ったら、解 答をかたずけて、もう一度間違っていた問題を解いてみる。この作業をすること で「分かったつもり」だったところを発見できる。 すべて解き終わったら、また答え合わせ。合っていたら「青」で丸。青で丸すること で、後日どこを重点的に復習すればよいのかが一目瞭然で分かる。違っていたら、 そこは「分かったつもり」で進んでしまうところだったところなので、もう一度答えと解 説を読み、理解できたら解答をかたずけもう一度自分で答えを書いてみる。合って いたら「緑」で丸。「緑」は最重要復習事項である。(色は自分で決めてよい) (勉強ができる子でもここまでやっているのは稀であろう。さらに伸びたいなら参考にして ほしい。)
これで飛躍的に「前に進んで」いけるはずである。もちろんこれらの作業をこなすのは「足 ぶみ勉強」よりも疲れる。たがそれこそが「前に進んでいる」証拠である。歩くのも自転車 も、空回りよりも前進する方がより大きなエネルギーがいるものである。だが「足ぶみ」「空 回り」は、使ったエネルギーが前進へ転化されないのだから一番もったいない。プラスαの エネルギーで飛躍的な前進があるのであれば、そのようにした方がよいのではないだろう か。
合格は向こうからやって来ない。こちらから合格という頂へ歩いて行き、つかみ取らなく てはならないものである。
「疲れるばかりで、気づいたら足ぶみしかしていなかった」という勉強からは、今日で卒業 して、着実に合格へと進んでいってほしい。
◇バカだから勉強できない!?
勉強が嫌い、あるいは苦手な人がよく口にする言葉に「どーせ自分はバカだか ら……」「才能が無いから」「DNA(遺伝子)が違うから」などがある。 「『才能がない』から努力しても無駄だし、どうせ無駄な努力なら最初から何もやらな い」というものだ。
一見りっぱな理屈に思えるが、要は『最初から努力を放棄して、楽な道を行こう』とする 自己弁護・自己正当化のための屁理屈でしかない。こういうのを『詭弁』というのであっ て、こんな理屈に共感しているようでは何もやり遂げることなどできない。 そもそも『無駄な努力』などないのであって、一生懸命頑張ったことは、仮にその時 は無駄になったようでも後の人生で思わぬ恩恵に授かったりする。 例えばスポーツに真剣に取り組んだ人は、そこで培った体力や精神力が他の分野で必 ず生きてくる。
野球のトップ選手であるイチローや松井秀喜などは「もし自分に才能があるとすれ ば、それは人の何倍も努力できる才能だ」と言っている。 勉強でも同じで、東大に入る人とそうでない人がDNAで区別されているわけではない。 ましてや、平均付近あるいはそれよりも下の世界で『遺伝子や才能』のせいにするなど 愚の骨頂、笑止千万である。
そんな人は、まず自分自身に負けているのだ。
怠けたい自分、ラクしたい自分、弱音を吐く自分。そんな自分の中にいる弱い自分に負 けている。 そんな状況で社会に出たとして、一体どうやって厳しい荒波の中でやっていけるのか。 「やりたいことはやるけど、やりたくないことはやらない」「何をやるかは自分が決める(と言 って、疲れることはやらない……)」などと甘えたことを言う人間、そういう生き方をしてきた 人間を、あなたが社長の会社なら社員として雇いたいと思うのか、立場を入れ替えてよく 考えてみてほしい。 口先だけなら誰でも立派なことが言える。しかし行動が伴っていなければ、それはただ 『軽蔑の対象』でしかない。 会社や企業が学歴を重視するのも、そこを見極めようとしているからではないだろうか。 『口先だけでは合格できない大学』を出た人材を求めている。(中にはくだらない派閥が横 行している企業もあるのだろうが。早稲田からは取るけど、慶応からは取らない……とい うような) 面接だけでは口のうまい人間にしか有利ではない。短い限られた時間なら、うまく演技す ることだって可能だ。でも学歴は演技やうそでは手に入らない。人並み以上の努力をし、 身を律してきた人間だけが手に入れられる。
社会では『克己の精神』『自律心』を伴った人材が必要とされているのだ。
もちろん業種によっては『知識』自体も必要となるが、最も重要視しているのは、その人 がこれまで『どのような生き方をしてきたか』ということなのではあるまいか。
こう言うと「別に努力の対象は『勉強』でなくてもいいのではないか」という反論をしてくる 人がいる。「私は勉強はダメだけど、○○では人よりも上手い」(○○には、例えば「イラス トを描く」だったり「ゲーム」だったりする)というわけだ。 確かにその通りなのだが、ではそんな人がその分野でプロとして通用するほどに、自ら を律して努力しているのかというと、大抵の場合そうではない。趣味程度にやって「素人よ りは上手かも」といったレベルでは話にもならない。
そもそも、本当にある分野で頑張っている人は、勉強もまた真剣に頑張っているもので ある。
なぜなら、真剣に打ち込めば、それが自分を向上・成長させてくれる『楽し さ』につながることを知っているからだ。
それを知らない人は、『努力』は『疲れる』ことでしかないので、やりたがらない。やらない から出来ない。出来ないからますますやらない。……完全に「負のスパイラル」に入ってし まうのだ。
◇負けたあとが肝心
人生とは「勝つ」ことが「成功」につながると思っている人もいるかもしれないが、実際に はそれほど単純ではない。歴史をひもとけば、「勝ち」を積み重ねたことで非運に見舞わ れた例や、「失敗」が思わぬ「成功」への足掛かりとなった例は枚挙にいとまがない。
たとえば、源義経は勝ちを積み重ねて、最後には兄の頼朝の不興を買い、殺されてしま った。 また、つい先日(2003年頃に書いたもので……)田中耕一さんがノーペル化学賞を受賞 したが、これは「失敗」が思わぬ形で「新発見」へと結び付いたそうだ。
そもそも、一生勝ち続けることのできる人などいないのだ。誰でも「負け」を経験する。肝 心なのは「負けたあと」だ。これによって、「その後の自分」が大いに変わりうる。
まず、負けた後の行動パターンとしては大きく2つある。
1つは、「負けたことでやる気をなくし、投げ出してしまう」パターン。 もう1つは、「負けから学んで、次の勝利のために更なる努力を続ける」パターン。
前者のような人はいわゆる『負け犬』で、何をやっても大成することはない。 中には『負けた人』のことを『負け犬』というのだと勘違いしている人がいる。(昨今では 『結婚していない30代の女性』のことを『負け犬』などと呼んだりもする。これは少し論点が 違う話だが……)
だが、たとえ負けてもそこから課題を見つけ、次の勝利のために努力を続 ける人は決して『負け犬』などではない。
例えば、試合でもゲームでも、負けるのはイヤだと格下の人としか勝負をしないような 人。公式の試合には出ようともしない人。こんな人はたとえ負けていなくても『負け犬』だ。 テストで悪い点を取っても、それに慣れて何とも思わずにいるような人。これも『負け 犬』。
要は『努力を放棄しているような人』のことを『負け犬』というのだ。
ところで、長年父兄面談をしていると「うちの子は『欲』がなくて……」というお母さんがよく いらっしゃる。大抵はあまり出来のよくないお子さんをお持ちのお母さんからこのようなセ リフを聞く。 「欲がないから、勉強もしない」ということなのだろうか。 「無欲」というのはイメージがよい。仏教でも座禅を組んで「無欲・無心の境地」を修行し たりする、高崇な世界であって、常人のなしえる精神状態ではない。厳しい修練の末に無 欲・無心の境地に至ることができる。 例えば「延長11回の裏。0対0。ツーアウト満塁、カウント2-3」というピンチに、「フォア ボールになったらどうしよう」という精神状態では、実力など発揮できない。それまでの厳し い練習、積み重ねてきた試合経験。それらが培ってきた強い精神力がボールを投げさせ るのだ。野手も同様。「自分のところに飛んできたらどうしよう」ではなく「自分のところに飛 んでこい」と思える精神力。これらは無欲・無心の境地と似てはいまいか。 そのような強い精神力を「うちの子」が持っているのだとしたら、勉強など軽くできている ことであろう。 本当に「欲がない」のか試してみよう。 「はい、1万円あげる」 この子は「いらない」と言うだろうか。 つまり、「やる気がない」「努力しない」とはイメージが悪すぎて言えないから、少しでもイ メージのよい言葉に転化しているだけなのだ。 努力を放棄している人のことを『負け犬』というのだと先にも書いたが、「うちの子は欲が なくて……」のセリフを言っているお母さんの中で、自分の子供がそうなっていくことに危機 感を抱いていらっしゃる方がどれほどいるだろうか……。
時間というのは、誰にでも平等に1日24時間が与えられている。その時間をどのよう に使うかが、その人の人生だ。
仏教には「白髪を以て長老と言わず」という言葉があるらしい。「人間というものは、ただ (白髪になるほど)年を取れば自然に偉く(=長老)なるわけではない、努力から目をそむけ、 無為に時を過ごしてきた者はいたずらに年老いたというのみで、哀れなことだ」というお 釈迦様のお言葉だそうだ。まさに言い得て妙ではないか。
「人生とは、天から与えられた魂を、磨いて天に返す修行である」と言われ る。 このような生き方をしていきたいものだ。自戒を込めて言う。
◇勉強できる子、できない子
先の項でも述べたように「バカだから勉強できない」のではない。例えば、英語を習った ことのない小学生がsupermanの読み方や意味を知らなかったとしても(私は小学6年生 の時にこれが読めなくて中学生にからかわれたことがある)、バカなわけではない。
ところが、同じことを同じように習っても、すぐにできるようになる子となかなかできない子 がいる。周りから見ると、なかなかできない子は「バカ」に見える。本人もまたそう思うよう になるし、そのことが「どうせ自分なんて……」の始まりともなる。
この現象はこのように解釈できる。
例えば小学1年生から5年生になるまで毎日野球をやってきた子と、運動らしい運動をし てこなかった子が、ある日同時にバレーボールを習ったとすると、前者は運動における体 の使い方を身につけているし、体力も十分ついているのでバレーボールの習得も早いで あろうが、後者はまず体の使い方や体力作りから始めなくてはならないので、当然前者の 何倍も努力が必要になってくる。 言ってみれば前者が『運動貯金』がたっぷりあるのに対して、後者は『運動貯金』が全く ないのだから、両者のバレーボール習得の度合いが違ったとしても、何の不思議もない。
勉強の場合も同じで、『勉強貯金』がある者とない者が、同じことを同じように習った時、 『習熟度』に差が出るのは当然なのだ。
必要なのは『貯金』を増やす努力なのであって、「人の2倍努力する。それでだめなら 3倍努力する」という気概が大事なのである。
「できるヤツにできない人間の苦しみは分からないよ」とか「神様は不公平だ」とかウジ ウジしている人間に限って、自分では何の努力もしようとしない。そして『できない原 因』を他者に転嫁する。「先生の教え方が悪い」「自分のやる気を引き出してくれない」、は ては「社会が悪い」……。まるで他者が与えてくれるのを、自分はじっと待っていればよい かのようである。勘違いはなはだしい。
『自分が何をしてもらうか』ではなく『自分が何をするか』を考えるべきだとよく言われる が、勉強というものは自分自身の為にするものなのだから、特にそのことが大切なのでは ないだろうか。
勉強とは「やればできる」「やらなければできない」という極めて公平で単 純なものだ。
よく「頭のいい奴はいいよなぁ。たいして勉強しなくても成績がいいんだから」などと言う人 がいるがとんでもない。彼らは例外なく、人の2倍3倍の勉強量をこなしている。 それに対して、勉強が苦手と言っている人は、まず間違いなく本気で勉強をしたことがな い人だ。 このような人は「そんなことはない。自分なりに努力しているつもりです」と反論してくる のが常だが、実際には「自分なりに」妥協して「これが自分の限界だ」と決めてしまってい る。 10の努力が必要なところを5か6、ひどいのになると2か3の努力しかしていないのに、 「やりました」と言う。
これでは『勉強貯金』も増えるわけがない。
◇基礎学力をしっかりつけろ!
よく「受験は要領とテクニックだ」などと、まことしやかに言う人がいる。「さんざんさぼって きた人でも、ほら、こんなにいい逆転の秘策がありますよ」というわけだ。
だが基礎学力も無いのにテクニックが生きるわけがない。プロ野球の選手で も、しっかりとした基礎体力をつけているから、テクニックが生きてくる。
基礎学力とは家の土台にあたるところで、小さな小屋でいいのなら土台などいらないが、 大きな一軒家や高層ビルを建てたいのなら、土台をしっかり作っておかなければ完成の 日は永遠に来ない。無理やり完成させたとしても、ちょっとした振動で倒れてしまう。
何でもそうだが「努力しているのに一向に上達しない」というのは、努力の仕方が間 違っているか、基礎力が不足しているかのどちらかが原因である。
ところが基礎力のない人に限って基礎練習を怠り、華やかな実践練習ばかりしたがるの だ。そして基礎力不足を小手先のテクニックでごまかそうとする。そうなるともはや『そのこ とに時間と労力を費やした』というだけで、向上も上達も望めないのである。
英語を例にあげて、もう少し具体的に説明してみよう。
英語の成績が伸び悩んで相談に来る生徒のほとんどが、『英文の音読(声に出して読 むこと)』をしていない。私は「問題集とか結構こなしているのに、成績が伸びません」という 人には、「教科書の英文を毎日10回以上音読するように」アドバイスすることにしてい る。
「勉強の仕方は人それぞれだから、みんなに同じことを押し付けても意味がない。」など と、知ったかぶりで言ってくる人もいるが、それは基礎学力がしっかりついた上での話だ。 「人それぞれでいい。それが個性だ。自分流だ」などと言う人もいるが、基礎力もない のに『自分流』なんてある訳がない。 それは『我流』なのであって、『自分流』とは似て非なるもの。『我流』では上達など望め ない。 テニスのプロ選手でも、それぞれ個性的な打ち方をしているように見えるが、よく見ると 基本は皆同じである。ボレーをするのにグリップを厚く握っている選手はいないし、スピン をかけたいのに薄い握りをしている選手もいない。プロ選手は皆、サーブでもストロークで も基礎をしっかり身につけた上で、それぞれ個性的な打ち方(=自分流)を確立しているの である。けっして『我流』と『自分流』を履き違えてはならない。
武道・茶道・華道の世界に『守・破・離』という言葉がある。
『守』は、師匠の教えを『守』り、師匠のマネをして基礎力をつけること。『破』は、師匠の 教えを『破』って『常識・定跡』に挑戦すること。そして『離』師匠のもとを『離』れる、つまり免 許皆伝、『自分流』の確立である。
このように、基礎ができて応用力がつき、その後に『自分流』が生まれるのであっ て、『勝手な思い込みや感覚』を個性だとか自分流などと言っていては、上達など到底お ぼつかない。
『英文の音読』とは、まさに基礎学力をつける作業である。
砂の上に「ほったて小屋」を作った人が、それでは物足らなくなったので「大きな家」に改 築しようとしているところを想像してもらうとよい。 砂地のままでは「大きな家」も「高層ビル」も建つわけがないのに、小屋の方を一生懸命 いじくっている人がいる。「小さな小屋でもせっかく建てたんだから、これを生かしたい」とい うのだ。 本当に大きな家に改築したいのだろうか。一度その小屋を取り壊して、基礎工事をやり 直した方が、よっぽど早いのに……。
『英文の音読10回』を毎日行うことは、成績が上がる土台を作る作業だ。
ポイントは、自分がしっかり理解した英文を音読すること。できれば、市販のCDを聞 いて、それをマネて読んでみる。そして、ここが肝心なのだが、日本語訳を頭に思い浮か べながら読むこと。 さらに『直読直解』の勉強をしていけば、そのうちに自分が英米人にでもなったような錯 覚におちいるかもしれない。つまり、ある日気がつくと「英文を英文のまま理解できる」よう になっているのだ。 (『直読直解』とは、英文を返り読みせずに解釈していく手法である。今の大学受験英語 は長文の占める割合が高く、速読速解が決め手となるので、ぜひマスターしておきたいテ クニックのひとつである。)
このように、本当に成績を伸ばしたいと思うなら、遠回りに見えてもまずしっかりと基礎学 力をつけることだ。その際に「ほったて小屋」を取り壊すことを恐れないこと。明日が試 験というなら別だが、十分に期間があるのなら基礎を作り直すことを優先させた方が、 結局近道である。
◇ライバルを持て!
努力を続ける上で、大敵は「飽きてしまう」こと。せっかくやる気の炎を燃え上がらせて も、燃料が切れてしまいそうになることはしばしばある。
そんな時に燃料を補充してくれるのが『ライバル』の存在だ。サボりたくなった時に、ライ バルの顔が思い浮かんだりすると、もうサボるわけにはいかなくなってしまう。 お互いに「ライバルだ」と意識しあうも良し、一方的にライバルだと思い込むも良し。とに かく「あいつだけには負けたくない」という相手がいる人は幸いである。その人は努力に飽 きることがないからだ。
もちろん、最大のライバルは『自分自身』である。サボりたい自分、怠けたい自分、弱 気な自分……に打ち勝つ「克己心」は、人生で常に必要な資質である。また「昨日の自分 に勝て」という言葉もあるように、昨日の自分よりも今日の自分が、今日の自分よりも 明日の自分が、向上し『進化』していくことが何より肝要である。
◇人間は忘れる動物である(復習の必要性)
人間の記憶能力というのはあまり優れているとは言えないらしい。コンピュータのように 一度人力すれば半永久的に記憶し続けるのならば、勉強で苦しむ人など古今東西存在し なかったであろうがそうもいかない。ごくまれにフラッシュメモリーと呼ばれる、一度覚えた ことはいつでも完璧に思い出せる能力を持った人がいるらしいが、そんな何百万分の一 の確率に当たらなかったことを嘆いても始まらない。
ところで、忘れるというのは脳から記憶が消失してしまった状態だと思っているかもしれ ないが、実は誰でも一度記憶したことは脳内に半永久的に保管されているらしい。忘れた というのはその記憶を取り出すことができなくなった状態で、フラッシュメモリーの持ち主は 脳内の記憶を自由に取り出すことができる能力だと言えるのだ。うらやましいかもしれない が、実生活においては忘れるという能力こそが重要で、悲しい記憶やつらい記憶を一生忘 れることができないのではかえって不幸だとも言えるのだ。
とはいえ、勉強に限って言えばやはりフラッシュメモリーは魅力的だ。なぜなら勉強は知 識が基本であり、覚えなくてはならないことが膨大にあるからだ。
ところが特別な能力など無くても、このフラッシュメモリーに近い状態を作り出すことがで きる。
例えば、ひどく感動した時の記憶はなかなか忘れないし、何年も前のことなのについ昨 日のことのように思い出すことができるものだ。これは強い感情とともに記憶されたことは 脳内に強烈に焼きついて自由に取り出すことができるようになるためで、その時の感情が 強ければ強いほど、記憶は鮮明になると言われている。
これを勉強に応用すると、無気力にだらだらと机に向かうのではなく、「なるほど~、そう だったのかー!」とか「そうか、分かった!」というように、知的好奇心が満たされる のを楽しみながら勉強したほうが記憶効率は良いということになる。同じ時間机 に向かったとしても、効果は雲泥の差が生じるだろう。 「やりたくもないのにやらされている」などとしぶしぶ勉強したところで、全く効率は上がら ないわけだ。そんなのは自分で自分を苦しめる全く損なやり方である。
もう一つの方法は『反復』すること。私たちが日本語を忘れないのも日々反復して使って いるからで、同じ日本語でも普段使わないような言葉などは思い出せなかったりする。 『反復』することで脳の記憶中枢から自由に取り出せるようになるのだから、フラッシュメ モリーと同じ状態を『反復』によって作り出せるとも言える。
エビングハウスという学者がおもしろい研究をしている。彼は数字やアルファベットを無 作為に7つ選んで、それを被験者数人に完璧に覚えさせ、その記憶がどのくらい続くかを 調べた。その結果を平均すると、1時間後には早くも40%~50%を忘れ、さらにそのまま 経過すると、24時間後にはなんと70%近くも忘れてしまうとの結果が得られた。しかし、以 後はさほど忘れていくわけでもなく、ほぼ横ばいで推移していくとの結果となった。(私たち はこの20%ほどの記憶があることで、忘れてしまった80%の記憶も残っていると錯覚して しまうようだ。) そこで今度は24時間後にもう一度覚え直してもらった。するとグラフの通り、記憶はより 長く続いた。さらに数日後にもう一度覚え直してもらうと、今度はなんと70%以上を記憶し 続け、忘れる量が非常に少なくなった。

この研究は、完璧に覚えたことでも時間の経過とともに忘れていくのだが、反復(勉強で 言えばその日のうちに復習、さらに数日後にもう一度復習)することで、記憶量が驚 くほど増えて、忘れる量は非常に少なくなるという人間の脳の特性をよく表している。
ちなみに、すぐに忘れるのはなぜかというと、それは脳の前頭葉にある『短期記憶』を司 るところで記憶されているから。長期記憶はそのもっと下の部位で司られている。ここには 脳が「大事だ」と判断した情報しか送り込まれない。だから強い感情とともに入ってき た情報や、何度も繰り返し入ってくる情報は「大事」だと判断されて長期記憶へと送り 込まれるのだ。
学力をつけるには、反復という地味な作業に耐えなければならない。そしてそのことが 強い精神力を培ってくれる。やりとげれば自信もつく。勉強が楽しくなる。楽しいか らもっとやるようになる。……「正のスパイラル」の始まりである。
◇ポジティブになろう!
英語でpositiveとは「プラス思考(建設的な考え方)をする」というような意味の形容詞であ る。(何の根拠もないのに楽天的で、自分に都合の良いように物事を受け取ることを 「ポジティブ」と言う人がいるが、これは間違い。英語ではoptimisticという。)
何かうまくいきそうな予感がすると本当にうまくいき、失敗しそうだなと思うと本当に失敗 したりするが、一般に『心の中に思い描いたことは現実となりやすい』傾向があると言われ ている。特にマイナス思考(失敗するのではないか、など)は現実になりやすい。(逆に、 実力を伴う必要のある事柄は、心で思い描く『だけ』では現実化しにくい。これは当然)
何かと自分に自信が持てず、常に失敗のイメージばかり抱いている人は本当に失敗の 連続となり、ますます自信が持てないという悪循環に陥いる。
また、無意識のうちに失敗を望んでいる人もいる。これを『不成功の願望』という。 例えば「友達はみんな成績が悪いのに、自分だけ急に成績が上がったら裏切り者と言 われるのではないか」とか「女だてらに出世したら周りに疎まれるのではないか」などがそ れである。 表層意識の『成功願望』とうらはらに、深層意識の『不成功の願望』が自分の足を引っ張 っているわけだ。
中には『ぬるま湯族』もいる。「別に今のままでいいジャン。友達もみんな同じだもん」と 『ぬるま湯』につかって安心し、努力することから目をそむけようとする人達のこと。 そういう人は『自分勝手なプラス思考(=optimistic)』で現状に妥協しているだけ。そし てそのことに気がつきたくないので、同じような仲間としか付き合わない。「友達もみんな同 じ」になるのも無理はない。
そもそも『今の自分』を『理想の自分』に近づけるように努力し、もし『理想の自分』 にたどり着けたらその少し上に新たな『理想の自分』設定する、その繰り返しの中で 向上・成長していけるよう精進努力することが大切なのだ。理想の自分と今の自分が ぴったり重なることなどあり得ないし、あってはいけない。なぜなら、それは理想の自分を 今の自分に引き下げた時に起きる現象だからだ。すなわち、現状に妥協し努力を放棄 したことを意味する。「あきらめも肝心」などと大人ぶったところで何の進歩もない。
ポジティブな思考とは自分が成長し向上できる建設的な考え方のことで、現状をご 都合主義に解釈することがプラス思考なのではない。こんなのは逆に『ネガティブ(否定 的)な考え方』だと言わざるを得ない。そういう人達は現状に『感謝』することと『妥協』す ることを履き違えているのかもしれない。
ポジティブと言えば、スポーツの世界では成功イメージを待つことが非常に大切だと言 われている。うまくいくイメージを繰り返し思い浮かべることで、本当に成功に結びつけよう とするのだ。 野球なら、「三振したらどうしよう」と思って打席に立つより、ホームランを打っている自分 を思い浮かべて打席に立った方が、はるかによい結果が出るという。
また、スランプに陥った選手などは、絶好調だった頃の自分を思い浮かべたり、ビデオ を繰り返し見たりするそうだ。これもスランプを脱出するためのイメージトレーニングで、 非常に効果があるらしい。
勉強でも、すぐに悲観的になったりマイナスイメージを待ったりするのは厳禁で、常に成 功イメージを待ち、ポジティブに考えるようにした方がいい。 例えば、「次のテストはばっちりだ!」と考えたり、テストでいい成績を取った自分を何度も 思い浮かべてみるのだ。志望校に合格した自分を思い浮かべてみる……というのもい い。
ただし、実力をつけた上で成功イメージを持つから効果的なのであって、なん の努力もしないでただイメージだけに頼っても無理なことは言うまでもない。
◇本当に勉強なんて必要ないのか!?
勉強が嫌いな人の言い分として「数学なんて生きていくのに必要ない」とか「外国に住 むわけじゃないのに英語なんて習ってもしかたがない」というものがある。
確かに「勉強なんてできなくても生きていける」といった考えにも一理あるし、学生時代 にあまり勉強が得意でなかったような人が社会に出て重要な職につき活躍していたりする のをみれば、ますますそういった風潮が強くなるのも仕方がない。 また、凶悪犯罪の増える今の社会を見れば「勉強よりも道徳の時間を増やした方が よいのではないか」といった声が高まるのもまた無理はない。
しかしどんなに勉強が何の役に立っていないように見えたとしても「勉強なんてできなくて も生きていける。だから勉強なんて必要ない」というのは間違いだ。そもそもそんなことを 言ったら「英語だって数学だって、学校で習うほとんどのことはできなくても生きていける」 のだから「学校なんて必要ない」といった結論に達してしまうことになる。しかし本当に学 校に行ったことのない者が社会に出たらどうなるか。字も読めない、計算もできない、そ れでも生きてはいけるだろうがそれはとても悲しいことだ。
例えば、携帯電話が登場したばかりの頃、ほとんどの人は「そんなものなくても困らな い」と思っていた。それはその利便性を実感した人がまだ少なかったからだ。頭では 「便利だろう」と分かっていても、「でも、なくてもそんなに困らない。これまでだって、なくても やってこれたんだ」と思ってしまうものだ。ところが、今に至ってはほとんどの人が携帯がな いと困ると思うのではないだろうか。中には「ないと生きていけない」とまで思う人もいるだ ろう。
勉強でも同じではないか。「勉強ができると役に立つだろうが、まあできなくても生き てはいける」「それよりももっと大切なことがある」と思うのは、その利便性を頭では理 解していても実感していないからだ。 それに「勉強よりも○○(例えば『道徳』)が大事」だから「勉強なんて必要ない」のな ら、「ビデオよりもテレビの方が大事」だから「ビデオを捨てろ」というのも成り立つこ とになる。 「いやいや、テレビよりも家の方が大事でしょう。テレビは必要ないから捨てま しょう」とはなりませんよね。 さらに「水と空気とでは……」ここまでくると、もはや甲乙などつけられない。こう言われ てみれば、先の理屈がいかにおかしなものか容易に理解できるはずだ。
「勉強なんて必要ない」と言う人の多くは、実は「必要ない」と言い訳をして「努力すること から逃げる自分」の自己弁護をしているに過ぎない。
◇素直な心を持とう!
何でもそうだが、上達・向上を望むなら、『素直な心』が必要だ。スポンジが水を吸い込 むように、教わったことを身につけることのできる人というのは大抵素直な心の持ち主であ ることが多い。 逆に何を言っても屁理屈ばかり並べたててうんざりさせ、相手を閉口させて勝った気分 でいるような人は、大抵の場合何の取り柄もないような人だ。 もちろん100%そうだというわけではないが、傾向としてはそうなるのだ。
ここで、ある塾の塾長から聞いた実話を紹介しよう。
『中学1年生の時に入塾したある女の子は、中学生にしては大人びた感じの子で、成績 は中の下くらいだった。ところが何か尋ねても、返ってくるのはどこかヒネた答えで、授業も ウワの空。宿題もやってこない。「やりなさい」ということを素直にできない、どちらかという と「命令されるのはイヤ。やるかやらないかは私が決める」というような子だった。
そんな状況で、成績は一向に上がらない。そして、とうとう私立の入試が始まった。 ところが、学校で「絶対に大丈夫」と言われた滑り止めが2校とも不合格。これには彼女 もそうとうショックを受けた。というのも残った公立は合否が五分五分。だからこそ、私立は 2校とも滑り止めにしたのである。その時からだ。彼女の態度がガラッと変わった。 毎日塾に押しかけ、先生の言うことを『素直』に聞きだした。もちろん宿題も毎日キチンと こなした。塾で何時間も勉強に没頭し、授業の後も居残って勉強を続けたのだ。以前の彼 女には決して見られなかった姿だ。そして、五分五分だと言われていた公立高校に無事 合格。
高校卒業後は地元の女子大に入学して、大いにキャンパスライフを楽しんだという。』
◇キミは知らぬ間に『思考停止』に陥っていないか?
何をするにも『素直な気持ち』が大切だと前項で書いた。しかし『従順』と『素直』は、月と スッポン、コーヒーと泥水、大胆と大ざっぱ……。とにかく「似て非なるもの」である。
『従順』というのは、考える必要がない。言われたことをそのままやればよい。「だからラ クでいい」と言う人もいる。
こんな童話がある。 -----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
『市場ヘロバを売りに行く父と子がいた。2人がロバを連れて歩いていると、通りがかり の男が、バカにしたようにこう言った。 「せっかくロバを連れているんだから、子供くらい乗せてあげればいいのに」 父親はなるほどと思い、子供をロバに乗せて、また歩きだした。 すると別の男がやって来て、怒ってこう言った。 「父親を歩かせるなんて、親不孝な子供だ!」 父親はなるほどと思い、子供をロバから降ろして、代わりに自分がロバに乗った。 しばらくすると、また別の男が近づいてこう言った。 「自分だけがロバに乗って、子供を歩かせるなんて、ひどい父親だ!子供も乗せてあげ なさい!」 父親はなるほどと思い、子供もロバに乗せた。
しかしロバは2人も乗せているのだから、つらくて足元がふらついている。 そこへまた別の男がやって来て、あきれたようにこう言った。 「これからロバを売りに行こうというのに、それじゃあロバの生きが悪くなって、高い値で 売れないよ。ロバが疲れないように2人でかついで行ったらどうかね」 父親はなるほどと思い、ロバの足をロープでしばり、2人でかついで市場に向かった。
しかしロバの方はロープで縛られてかつぎ上げられるなんて、たまったものではない。 「お前のためを思ってやっているのだから、ガマンするんだ」と父親がなだめるが、こんな 自己満足的な優しさなどロバには迷惑でしかない。
2人は暴れるロバに構わず、そのまま市場へと向かった。そして最後の橋を渡ろうとし た、まさにその時、ロバがいっそう激しく暴れて、親子は2人ともバランスを崩し、ロバと一 緒に橋から落ちて、川に流されおぼれて死んでしまった。』
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童話というのは、必ず『人生の教訓』が含まれていて、グリム童話やイソップ物語などを 改めて読んでみると非常におもしろい。 この話では『思考を停止させて、他人の言うことに盲従していると失敗する』という教 訓が含まれている。
それでなくても現代は情報過多の時代だ。あふれかえる様々な情報のうち、「何が正しく て何が間違っているのか」を正しく判断する能力が求められている。
ある元プロ野球選手がテレビでおもしろいことを言っていた。「周りの『雑音』を聞いてい るとスランプが長引く」のだそうだ。『いろいろな人が口々に言うアドバイス』=『雑音』をい ちいち聞いていたら、自分のプレーがバラバラになるのだという。中には自分の地位を 守るために、『故意の雑音』で若手の素質や能力を潰そうとする人もいる。こんな人の言う ことを聞いていては、この童話の親子と同じ悲惨な結末になってしまうということだろう。
『雑音』に惑わされない唯一の方法は、自分自身が研究努力によって、『確かな知識』 を身につけることである。
例えば、幼児が台所で漂白剤を誤って飲んでしまった場合、「すぐに吐かせるんだ!」と 言われて、その通りにしてしまったら、その子は最悪の場合肺炎を引き起こして命にかか わることにもなりかねない。 「絶対に吐かせてはならない。すぐにコップ半分(100ml程度)の牛乳を飲ませて、一刻も 早く病院へ」という正しい知識があれば、子供は助かるはずであった。 それなのに「あなたが吐かせろと言ったんだから、責任取ってよ!」などと、いくら言った ところで、子供の健康は返ってきやしない。素知らぬ顔で、「そんなこと言った?」とでも言 われればそれで終わりだ。だます意思がなかったとすれば、訴えることもできない。
真偽の定かでない流説や思い込みに左右されることなく、自分自身の頭でよく考 え正しい判断を下すためには、まず正しい知識・情報が必要だ。
学校での勉強というのは、正しい判断を下すための基礎知識であるともいえる。例え ば、学校で計算を習うから「18十21=40!」と言われれば「違うよ、39だろ!」と言え る。買い物しておつりが少なければ、「おつり間違ってるよ!」と言うこともできる。
「学校なんてなんであるんだよ」などと不平を言ってる人は、学校で習ったことが社会に 出た時、必ず役に立っていることを知るべきである。
将来使わないであろう2次関数や英語の長文も、知識を得る以外に脳を鍛えるトレーニ ングという意味もあるのだから、分からないなりに必死に取り組んだ方が得なのである。
ところが、学校で頭を使うと「損した」と感じて、授業中などただ静かにボーとしてればい いというような人が時々いる。しかし、実はそっちの方が「損な」考え方で、そんな人は思考 レベルがどんどん下がっていく。さらに怖いことに、これには自覚症状がまったく無い。自 分では一生懸命考えているつもりなのだが、気がつかぬうちにいつの間にか『思考停止』 状態に陥っていて、そこから抜け出せなくなっているものなのだ。
『考えているつもり』の『思考停止』に陥らぬよう、思考の材料である正しい知識・情報を キチンと身につけてほしい。
◇『知的好奇心』は人生の宝
好奇心とは「知りたい」という気持ちのことだが、上に『知的』とついているので、ただの やじ馬根性とは違う。 子供の頃はたいてい好奇心が旺盛で、何にでも興味を示し、キラキラと眼を輝かせてい る。そうして『脳』を成長させているのだ。眼に輝きのない子供というのは、逆に『脳』の成 長がスムーズにいっていない場合が多い。
『脳』は6歳くらいまでの間に爆発的な成長を示す。脳内の神経細胞(ニューロン)をつ なぐシナプスはそれこそ天文学的な数にまで膨れ上がり、新しい知識をどんどん吸収して いく。 しかし知的好奇心が乏しい子供の場合、シナプスはなかなか増えていかない。シナプス は『脳』を使い、知的好奇心を満たしていく過程において増えていくものだからだ。
脳神経医学はこの10年で飛躍的に進歩し、この先の10年でさらに進歩するだろうと言 われている。ニューロンに電気信号が伝わる様子を、リアルタイムで見られる特殊なカメ ラも登場した。様々な最新機器の登場で、これまで謎につつまれていた脳が解明されつつ ある。
人は誰でも生まれた時には、脳全体で1000億、大脳新皮質だけでも140億のニューロ ンを持っている。だが、ニューロンはそれだけでは正常に機能せず、細胞と細胞をつなぐ ネットワークである『シナプス』ができて初めて本来の働きをしてくれる。
ニューロンは普通の細胞と違って分裂して増えていくことはできないとされていたが、最 新の研究では減った分を補うように再生している例があるとされている。(今後の研究を 待ちたい)
脳が成長するとはニューロンが脳の中で増えることをさすのではなく、ニューロンをつなぐシナプスが形成され、その数が増えていくことをさす。そしてこのシナプスの数が多けれ ば多いほど、脳内の電気信号がスムーズに流れて、脳が円滑に働くようになるのだ。脳の 『性能』、脳力がアップすると言ってもいい。
シナプスは脳への刺激に応じて、増えたり減ったりする。一度形成されたシナプスも、脳 が不要だと判断すると2、3日で消滅する。必要な(よく使われる)シナプスは大きく成長す るし、もっと必要だと脳が判断すると別のシナプスが新たに作られていく。 普通年齢を重ねていくと、多くの人がシナプスの数を減らしていく。脳は不要な(あまり使 われない)シナプスを消去し、脳内をなるべくシンプルに整理しようとする。そうしていつし か、シナプスは一つの川の流れのように一本化されていく。 こうなると一面的な見方・考え方しかできなくなってしまう。若者の考え方に難色を示すお 年寄りが多いのは、脳内のシナプスが一本化し多面的な考え方ができなくなっているため だと言われる。
脳内のネットワークが単純化すると、新しいアイデアを出そうといくら考えてみても、「下 手な考え休むに似たり」と言われるように、一向に脳が働いてくれない状態になる。逆転の 発想などできないから、いつも同じ考えがどうどう巡り。本人は一生懸命に考えているつも りだが、肝心の脳がうまく機能していないのである。これがさらに進むと、認知症の入り口 へとさしかかる。(※認知症にもいろいろな原因・症例があります)
シナプスが減少することを「脳が老化する」と表現するが、普段脳を使わないと「老化」す るのであって、年齢とともに必ず老化するわけではない。脳に刺激を与える生き方をして いれば、何歳になっても若い脳を持つことができるし、なんとなくだらーとした生活を送って いれば10代の若いうちから脳はどんどん老化していく。事実、98才になっても現役の大学 教授を続け、階段などもかけ足でのぼっていく人もいる。この人は「もう年だから」と言わ ず、新たに外国語の習得に努めたり、毎日ストレッチや軽い筋トレをしたりと、脳にも体に も適度な刺激を与える努力を怠らないそうである。
本来人間の脳というものは、知的好奇心が満たされることで快感を感じるようにできて いる。知らなかったことを知ったとき、分からなかったことが分かったとき、その瞬間に脳 内にドーパミンやβエンドルフィンなどの快感物質が分泌され、言いようのない快感を与え てくれる。それに応じてシナプスも成長し増えていって、脳の性能そのものがレベルアッブ していく。
また20歳を過ぎた頃から一日に10万個のニューロンが死んでいくと言われているが、シ ナプスがしっかりしていればボケることなどないと言う。またニューロンが減りすぎて、これ では脳機能を維持できないと脳が判断すると、ニューロン自体が分裂し再生してくれるらし い。
ところが脳への刺激が少ないと、ニューロン再生の必要なしと判断され、正常な脳機能 が維持できなくなってもニューロンは減る一方で、脳は萎縮していく。認知症の人の脳は、 例外なく脳が萎縮している。(※認知症に至る原因は様々あります)
脳に刺激を与える方法としてはいろいろある。そろばんや絵画、ピアノ、読書、スポ ーツ、もちろん学校の勉強も脳に刺激を与えてくれる。
一番大事なのは、ただなんとなくやるのではなく、上達を喜び「もっとうまくなりたい。だか らもっと練習しよう」という『前向きな気持ち』を持つこと。「やらされている」「しかたなく」 という『後ろ向きな気持ち』ではダメなことは前にも述べたが、習熟度に大きな差が生ま れてしまうだけでなく、脳そのものの成長にも大きな差が生まれる。
何かを学習しようとする時に『脳』は成長するし、その際に快感物質が脳内に放出されて 『喜び』を感じる。人が「幸せだ」と感じるのは、この快感物質のおかげだと言われている。
『知的好奇心』を持ち続け、前向きな気持ちでいられる人というのは、人生で最も大事な 『宝』を持っていると言ってもよいのではあるまいか。
◇子供の可能性は無限大
ここに3、4歳の子供がいるとする。あなたの子供だ。 その子が絵を描いていて、空をピンク、雲を緑、山を灰色に描いていた。あなたならどう するか。
最悪なのは、「空は青でしょ。雲は白。山は緑じゃないの!ちゃんとまじめに描きなさ い!」とやることだ。
今度は積み木で遊んでいる。すると突然子供の手が止まり、考え込み始めた。あなたの 目には「最善手」が明らかに見えている。でも子供はその「最善手」に気がつかないのか、 なかなか手を動かさない。まだ考えている。
このような場合でも、「ほら、ここにこれを積んだらいいでしょう」やってしまうと最悪だ。
いずれの場合も、子供はせっかく自由な発想で楽しく考えていたのに、思考を中断させ られて、大人の決まり切った「正解」を押し付けられたわけだ。おもしろいわけがない。 (この時「分かったから、黙ってて!」と言って、また考え始めれば、その子はたいしたもの である)
そもそも『固定観念』や『先入観』といったものはシナプスが一本化されて起こる現象であ り、小さな子供のうちから固定観念が強いようでは逆に心配である。
もう一つ例をあげてみよう。
あなたが家を留守にしている間に、4歳の子供が冷蔵庫の中の卵を全部、水の入った バケツの中に入れていた。帰宅したあなたは、バケツの水の中に入れられた大量の卵を 目にすることとなる。さあ、どうする。
「何でこんなイタズラするの!!」と、いきなり頭ごなしに叱りつける人もいるかもしれない。
ところが子供だって、わけもなくこんなことをするわけではない。話を聞いてみると、こう いうこと。
『この子』は何かのおりに「オタマジャクシは卵から産まれる」ことを知った。だが4歳の子 供には、「卵」といえば冷蔵庫の中に入っているあの卵のことでしかなかったのだ。カエル の卵など知らなかったこの子は、冷蔵庫の中の卵を全部バケツの中の水に入れて、『これ でオタマジャクシが生まれる』と、わくわくしていたのだ。
こんな例もある。5歳の男の子が、ある工事の邪魔をして作業員たちに何か叫んでい る。通りすがりのあなたは、「しつけのなってない子供が……」とまゆをひそめるかもしれな い。
この子は、小さな頃からハヤやメダカを追いかけて遊んでいた近所の小川がコンクリー トで固められると知って、それを涙ながらに阻止しに来ていた。「ここにはいろんな生き 物がすんでいるのに。コンクリートで固めたら全部死んでしまう。増水してあふれたこと もない川なのに、コンクリートで固める理由なんかない」と言っていたのだ。
自然と触れ合うというのは、知的好奇心が満たされていく体験の連続だ。昆虫や魚な ど、いろんな生き物と接し、時には殺してしまったりもしながら、多くのことを学んでいくもの だ。
そんな体験をしてきた子供だったからこそ、このような行動をとったのではないだろうか。 もし、図鑑やテレビでしか見たことのない子供だったら、わざわざこんな行動を取りはしな いだろう。
では、これはどうか。
あなたの子供はまだ6、7歳である。その子が最近「なぜ」「どうして」を連発するので、正 直あなたはめんどくさい。食事の支度をしていてもアイロンがけをしていても、子供はおか まいなしに「なぜお月様は形が変わるの」「どうして空は青いの」「雲はどうして浮かんでい るの」と聞いてくる。
あなたならどうする。
最悪なのは「後にしてちょうだい!」と会話を拒絶すること。 また、6、7歳の子供には理解不能な言葉で『説明(?)』して自己満足したり、「分かった の!?本当に分かったのなら自分の口で説明してみなさい!」とやってしまうのもダメ。
一番大事なのは、『説明』よりも『会話』をしてあげることで、「どうしてかしらね。今度学校 で習ったとき、お母さんにも教えてね」と言うだけでも、子供は満足して『知的好奇心』が育 くまれる。
「そんなことも知らないの。ダメね!」などと言うのもNG。子供に「あなたはダメな人間だ」 と暗示をかけているようなものだ。
教育心理学に『ピグマリオン効果』というのがある。「あなたはできる」「あなたにはすぱ らしい才能がある」と、愛と希望を持って(表面的な言葉だけではダメ)言い続けていると、 本当に才能を伸ばしていくというものだ。
また、子供がいろんな「どうして」を発するようになったら、それに関する学習マンガや図 鑑などを買ってあげるとよい。 「どうしてって聞いていたことが、この本に書いてあるわよ」と言って渡せば、子供は喜ん で読み始めるだろう。 マンガは『楽しく』読めて、何度も『繰り返し』読んでもらえる。『楽しく』と『反復』が勉強に 効果的であることは前にも述べたとおりだ。 最初から絵本や百科事典などを、本棚にずら~と並べておくのもいい。 好きな昆虫を百科事典で調べれば、詳しい知識だけでなく『自分で調べる』力も養われ る。絵本を読むことは『国語力』をつけるのにもってこいである。
そんな子は特に問題集などで勉強していなくても、小学校のテストではいつもいい点を取 って帰ってくるようになるものだ。
◇右脳を活用しよう!!
人の大脳は左脳と右脳に分かれていて、左脳は『言語、論理、代数、分析的思考』など を、右脳は『空間認識、直感、音楽、映像処理』などの役割を担っているという。 脳は、こうした対照的な働きをすることで、互いに補い合っているのだ。 普通『勉強』というと、つい左脳ばかり使って、右脳は休憩中……といったことになりがち だが、右脳を活用することで勉強の効率は格段に上がる。 例えば、数学の文章題も『図に描いて考える』ことで意外に簡単に解法が思い浮かんだ り、英文を『外国人にしゃべりかけている場面を思い浮かべながら』音読すると、記憶が長 続きしたりする。
しかし、もし右脳がサビついていたら、いざ使おうと思ってもうまく機能してくれない。右脳 を活用するには、普段から右脳を刺激して活性化させ、いつでも使える状態にしておく必 要があるのだ。
右脳に刺激を与える方法はいろいろあるが、例えば『音楽』。音楽を聴いたり演奏したり することは、右脳を心地よく刺激してくれる。特にクラッシック調音楽の『1/fゆらぎ』は、心 身ともにリラックスさせてくれる。自然界では、風のそよぎとか、小川のせせらぎ、鳥のさえ ずりなどに『1/fゆらぎ』があると言われている。こういう音を聞いていると、脳からα波が出 て、脳も体もリラックスできるという。 ピアノも、右脳の活性化にとても効果的だ。音楽的な効果だけでなく、指を使うことで刺 激が直接脳へ届くと言われている。特に『左手を使う』ことは、右脳によい刺激となる。 左手は右脳と神経が直結しているので、右利きの人でも意識して『左手を使う』ようにす ると(例えば『ドアを左手で開ける』など、普段右手でやっていることを左手でやってみる)、 右脳には十分刺激になる。
指を使うと言えば『そろばん』がある。特に『そろばん式暗算』は、右脳を非常に活性 化させるということが研究によって明らかになっている。そろばんの珠を『イメージ』して行う 暗算は、右脳の活性化にもってこいなのだ。対して、『筆算』は左脳の仕事である。
左脳と右脳がバランスよく働くことで、『脳力』は飛躍的にアップする。
右脳は、情報処理能力が左脳の100万倍(100倍ではない!)あるのだから、これを眠らせ ておく手はない。
右脳をうまく活用している人としていない人の差は非常に大きい。普段から右脳活性化 を意識しておきたいものだ。
◇『バランス』の話
前項でも「左脳と右脳がバランスよく働く」ことが大事だと書いたが、『バランス』がよいと はどういう状態であろうか。
哲学では、よく『中庸の徳』という言葉が出てくる。『どちらかに片寄り過ぎてはいけない。 何事もバランスが大事だ』という意味だ。
例えば、『勉強ばかりする』とか『体ばかり使う』のように片寄り過ぎると、必ずどこかに歪 みが生じてくる。
『バランス』と言えば、おもしろい童話があるので紹介しよう。 -----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
キツネとオオカミがケンカをしていた。ライオンが来て理由を尋ねると、2匹が手に入れ た肉の取り分が「多い」とか「少ない」とか言ってもめているらしい。 「肉は均等に分けるべきなのに、オオカミは自分の方を大きく分けた」「そんなことはな い。ちゃんと同じ大きさに分けた!」などと言い争っているのだ。
そこでライオンがこう言った。
「うーむ、確かにオオカミの方が少し多い。こうしよう。オレがこっちの肉を少し食べてや るから、それでバランスをとろうじゃないか」
ライオンにこう言われて、2匹は納得した。 「じゃあライオンさん、お願いします」
ライオンはオオカミの肉を少し食べた。すると今度は、キツネの肉の方が少し多くなっ た。 「これはいかん。今度はキツネの肉を少し食べてやろう」 ライオンはこう言って、キツネの肉を少し食べた。すると今度はオオカミの肉の方が少し 多くなったので、ライオンはオオカミの肉を少し食べた。
こうしてライオンは交互に2匹の肉を食べていき、ついに全部たいらげてしまった。 -----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
『バランス』というものを考えるとき、どちらかを減らしてバランスをとろうとすると、この童 話の中の肉のように、最後にはバランスなどどうでもいいほど小さなものになってしま う。
『バランス』をとろうとするときは、やはりどちらかを「増やす」発想でありたいものだ。
左脳と右脳のバランスをとろうとする時も、「普段、左脳ばかり使っているから、右脳にも 刺激を与えて鍛えていこう」という発想が望ましい。
◇よく学び、よく遊べ
昔から「よく学び、よく遊べ」と言われるとおり、運動もせずに勉強ばかりしていては、そ のうちに体の『バランス』を崩し、健康を害してしまうことにもなりかねない。健康な体こそ が全てを生み出す大事な資本なのだから、普段から体を鍛え、少々のばい菌やウィルス などはね返してしまうくらいの勢いが欲しいものだ。
勉強の合間に休憩を兼ねて腕立て伏せや腹筋運動をしたりするだけでも随分と違うし、 たまの休日には太陽の下でスポーツに興じることは、よい気分転換にもなる。適度な運動 をすることで病気と闘う免疫力も向上する。
最近、紫外線を気にして太陽の光を浴びないようにする風潮があるが、普段浴びてもい ないのに急に大量に浴びるから火傷を起こす。太陽の光を浴びると体内でビタミンDの合 成が促され、カルシウムの吸収を助けて骨を丈夫にしてくれる。
火傷を起こさなくても、「老化」の原因になるから紫外線を浴びたくないという人もいる。 老化に関する現在の定説は「老化は、呼吸で取り入れた酸素が体内のミトコンドリア でエネルギー産生に使われる際に生じた活性酸素が周囲の細胞を攻撃する蓄積で 起きる」ということらしい。 活性酸素に対抗する手段は、「ビタミンCやEを取る」「適度な運動をする」ということだと いう。つまり『栄養バランスのとれた食事』と『適度な運動』がアンチエイジング |
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